子供の頃のこと8

何をどこまで書いてたかわからんくなってきた;

今日は、向かいの家にしょっちゅう預かってもらってたことについて。

赤ちゃんのころから、向かいの家の夫婦に預かってもらってたみたい。

私の実家がある地域は、けっこう閉鎖的な田舎で、たぶん江戸より前から先祖代そこに住んでたから、近所づきあいがすごく密だった。

向かいの夫婦は子供はいなくて、おっちゃんは植木職人、おばちゃんは専業主婦だった。

おっちゃんは子供が好きで、仕事から帰ってくると、おーい、子ー!おっちゃんとこ来るか?と言いながら、玄関先の乳母車に乗せてある私を預かっていったらしい。

いつの時代?と思うだろうけど、昭和50年代です笑

おばちゃんは、私がお母さんに怒られたとか言うと、まるで自分の子のようになに怒ってくれてるの的な感じで家に言いに来たらしい;

自分ちの子のように大切にしてくれて、本当にありがたい。

こうやって絶対に叩かれない安全基地がなかったら、私はもっと毒親育ちの呪縛に苦しんでただろうな。

他人の家庭にズカズカ入り込みすぎだとは思うけど、一時保育みたいにお金も払わず、申し込み用紙も書かず、持ち物全てに名前を書いたりしなくても、何時間も預かってもらえる。

何だったら泊まりでも預かってもらえる。

それとは別に、母の実家でも預かってもらえる。

私も兄も預かってもらえる。

めっちゃいいやん。すごく恵まれてると思う。

小学一年のときに家を建てて、この夫婦の家から徒歩3分ぶんくらい距離が離れてしまった。

するとおばちゃんは、毎日の犬の散歩コースを変え、夕方毎日家の前を通り、声をかけてくるようになった。

よく母に怒鳴られ叩かれてるのを知ってるので、心配だったんだろうな。

朝の集団登校の集合場所に、おばちゃんが毎日来るようになった。

この夫婦の家には引き続きしょっちゅう遊びに行ってた。

この家は本家だから、親戚がよく集まってた。

そういうときも私はまるでその家の子のように居させてもらってた。

小学3年くらいだったかな?

その夫婦が、養子にしたいと言ってきた。

おっちゃんの兄弟の子男を養子にしようかとお試し期間みたいなのがあったけど、おばちゃんがしつけにうるさくて子が嫌がったみたいよ。

普段はよその家の子やから甘くしてもらえるけど、いざ自分の子になったら厳しくなるよ。

おっちゃんもおばちゃんもきれい好きやから、お菓子とかこぼしたら今は怒られへんけど、養子になったら怒られるで。

みたいなことを言われ、養子になるのはナシになった。

よその子だから甘い、いざ自分の子になったら厳しくされるというのは確かにそうだろうなと思う。

養子にいかずに甘くしてもらってたのが一番良かったんだろうなと思う。

0歳から3歳、なかでも特に6月から1歳半が、母親や保護者への愛着形成が大事な時期らしい。

私は毒親育ちの特徴はいっぱいあるけど、愛着障害のところはあまり当てはまらない。

だから、3歳くらいまでは叩かれたり怒鳴られたり無視されたりすることは、まだ少なかったのかも。

私の行ってた幼稚園は2年保育だから、4歳になってから幼稚園に行ってた。

4歳になるまでは、グズグズするな、早く用意しろ系で厳しく言われることはすくなかったのかも。

ただ、母親からは放置気味だった可能性は高い。

絵本を読んでもらったことがない。

母親と遊んだ記憶が一つしかない。

お人形さん遊びしましょうねーといってすぐ終わった人形遊び。

父や向かいの家の夫婦と遊んだ記憶はいっぱいある。

あと、決定的に疑わしいことが一つ。

兄も私も、赤ちゃんのときに後追いを母親にはせず、父にばかり後追いしてたと聞いたこと。

これ、母から直接聞きました。

本人からこう言うってことは、その頃の自分の育児態度に問題はなかったと思ってるのかな?と思います。

育児態度が明らかにダメだったと自覚してたら、こんなこと言わないと思う。

疑わしいけど、ごく幼い頃は、しょっちゅう叩いたり怒鳴ったりしてはいなかったのかもしれない。

直接聞いても真実は言わないと思う。

毒母は、自分が一番大事で自己保身することに長けてるから。

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